カルマと業

暦では小暑を過ぎ、いよいよ大暑を前に本格的な夏の盛りを迎えます。立秋前には夏土用も控えています。江戸時代、平賀源内が提案した鰻キャンペーンをきっかけに、日本中で土用の丑の日には鰻を食べて精をつけ、暑さを乗り切ろう!という習慣が当たり前のようになりましたね。

私の住む岐阜県には、土用丑でも絶対に鰻を食べない、という集落があります。郡上市美並村粥川地区の星宮神社の言い伝えによると、千年ほど前に、このあたりに妖鬼が出没して悪さをし、村人を困らせていたそうで、妖鬼は変幻自在に行方をくらまし、なかなか退治することができずにいたところ、朝廷からの命を受け、鬼退治にやってきた藤原高光の前に一匹の鰻が現れ、道案内するように川を泳いで鬼の居場所を教え、高光公が鬼を退治した、という伝説から鰻を神の使いとして、粥川地区の住民は鰻を捕ったり食べたりするのを禁じられた、という話です。この妖鬼を封じるために、高光公は高賀山の麓に6つの神社を祀り、星宮神社もそのひとつ。ちなみに高賀神社や美濃の瀧神社の伝承では、この妖鬼の姿は頭が猿、体は虎、尾は蛇という姿のさるとらへびという妖怪だったようです。(この銅像の高光の形相の方が私はコワイのですが。。(-_-;)

このさるとらへび伝説の二百年前、美濃と飛騨のむかし話に瓢ヶ岳妖怪退治の伝説があり、瓢ヶ岳(高賀信仰の山)に住む牛に似た姿の鬼が人々を苦しめていた、とあり、その時は村人に退治されたが、後に再び現れたので、都から来た高光が退治すると、それがさるとらへびだった、という話もあることから、朝廷にまつろわない土着の人々のことをデフォルメして恐ろしい妖怪として伝えているのではないか、と私は考えます。

高光は、平安時代に栄華を極めた藤原北家の祖である藤原師輔公の八男で、歌人としても名を馳せる人物でしたが、師輔の死により、業の深さに発心し、突然出家します。(一説には、師輔は、無実の罪で流罪となって亡くなり怨霊となった菅原道真の祟りによって病となり、命を落としたとも言われてるのです。)

「業が深い」「業が重い」ってよく言いますよね。何か悪いことばかりが立て続けに起きたとき、「悪業を背負う」とか「因果応報」とか言います。「業」とは、仏教の教えで、行いを因とした結果、つまり、やった事は必ず還ってくる、という教えです。よくないことばかり起きるのは、前世やこれまでの人生で行った悪業が溜まっている結果なのだ、ということです。

悪業というのは、高光や師輔のように実際に人を貶めたり殺めたりするだけでなく、誰かの悪口を言ったり、心の中で恨みを持ったり、嫉妬したりするだけで、業を背負うと言います。

仏教では三密といって、身(からだ)口(ことば)意(こころ)が業を作り出し、その中でも特に意、つまり心で思ったことが一番影響が強いと言います。

マザー・テレサの言葉にもあります。

「心で思ったことは、いつか言葉になり、言葉はいつか行動になり、行動はいつか習慣になり、習慣は性格になり、性格はあなたの運命となる。」

つまり、すべての業は思考から始まるというわけです。どきっ( ̄▽ ̄;)

日本でも「この世はうつし鏡」と昔からよく言われます。「現世」を「うつしよ」とも呼んでいます。意味は諸説ありますが、自分の目の前で起こることはすべて、自分自身の心の現れである、という「かがみの法則」が私は一番しっくりきます。

「か」と「み」の間に「我(が)」が入るとかがみとなり、この世を映し出す「かがみの法則」が生まれます。「火(か)」と「水(み)」は相反するエネルギーです。善と悪、聖と俗、男と女、陰と陽など、どちらが良いも悪いもなく、ただ、あるがままの状態。この世界は相反するエネルギーによって成り立っています。その間に我(が)つまり、エゴが入ると、神世から現世になるのです。

ヨーガ哲学では、これを「カルマ」と言います。

サンスクリット語のカルマには2通りの意味があります。ひとつは、行為そのものをカルマと呼びます。もうひとつは、「業」と同じく、行為と結果という意味です。

どんな行為も、その後に結果を残します。つまり、どんな原因にも結果がありますが、それは、どちらが先とも言えません。

木はなぜそこに生えているのか?種が蒔かれたからです。種はどこから来たのか?他の木が落としたからです。では木が先にあって、種を落としたのか?その木の種はどこから?

と言うように、ニワトリが先か卵が先か、と同じで、カルマの始まりは誰にもわかりませんが、そのカルマの輪はマトリックスのように延々と回り続けます。

カルマの輪がどのように回っているのかをカルマを矢に例えて、ヨーガ哲学から説明します。矢は自分の思いであり執われのことです。

カルマには3つのステップがあります。

①サンチタカルマ:これはまだ放っていない矢です。「なんかイライラする。いやな気持だ。」みたいに、何かの出来事に対して反応している、心の中のつぶやきみたいなもので、このカルマは将来的に放たれるのを待っている段階。

②アーガミカルマ:放とうとしている矢です。「あいつ、腹立つな。いやな奴だ。」と新たに作り出されているカルマで、すでに矢を放つ準備の段階。

③ブラーラブダカルマ:過去に放ってしまった矢です。過去とは、それまでの人生かもしれないし、前世かもしれません。今この世界で発現しているカルマ。つまり自分に還ってきているカルマです。このカルマに執着していると、それはカルマの種となって①に戻り、このマトリックスから抜けられなくなるのです。

🏹カルマのマトリックス、コワッ(;´Д`)

では、このマトリックスから抜け出す方法があるのでしょうか?

あります(o^―^o)ニコ

ヨーガの経典「ヨーガ・スートラ」には、カルマについてこう書かれています。

「カルマは善業に起因するものは楽、悪業に起因するものは苦として結実する。」

善い行いは幸せと楽を、悪い行いは苦を味わう、と言っています。

つまり、楽しくて幸せのカルマだったら、全然オッケーですよね😊

幸せのカルマを回すためには、「ダルマ」に出会うこと。「ダルマ」とは法と訳されますが、真理であり、教えのことです。

カルマには、個人のカルマ以外にも、地球のカルマや宇宙のカルマというものがあるそうですが、個人のカルマの流れを変えることが、地球や宇宙のカルマを解消するということなので、まずは自分自身のカルマを浄化します。

悪業のカルマから自由になる「ダルマ」とは。

★ アーガミカルマの矢を放たない

★ 執着を手放す

★ カルマ・ヨーガの実践

アーガミカルマの矢を放たないということは、つまり、何かつらいことが起きた時、自分を責めたり、他人のせいにしたり、誰かを糾弾したりしない選択です。今生で出会う人との関係性は、過去世で解消できていない悪業のカルマがあるから、また出会ってしまう、と言います。自分と合わないと感じる人とと出会ってしまったら、今生で愛を学ぶために現れてくれた人だと自分に言い聞かせます。そこで矢を放ってしまうと、いったん敵は去った、と安堵しても、また別の場面で同じような人に出会います。これが人間関係のカルマのマトリックス。

そんな人間関係のカルマの原因が、執着です。執着とは、エゴ。つまり、自分への執われです。人は誰でも自分を中心に物事を考え、自分を守るために誰かを攻撃してしまうことがあります。その人に対して直接言うのは、まだ愛がありますが、他人に愚痴や悪口を言うのは、悪業の極みです。その行為は一時的に気持ちが解消されますが、すでに矢を放ってしまっているので、その矢はブラーラブダカルマの矢となって自分に還ってくるのです。

最後のカルマ・ヨーガという教えは、日々の暮らしの中で実践するヨーガの考え方で、結果や見返りを期待せず、目の前のことを夢中になって一生懸命行うという行為です。それを行うことによって、自分だけではなく、自分の周りの人の助けや癒し、世界の平和、地球環境への貢献、さらには宇宙の調和にもつながれば、個人だけではなく、地球や宇宙のカルマさえ浄化されるのです。個人的な期待のない無私の奉仕は自分に向いている心の矢印を他のものに向ける、という、相手の気持ちを思いやり、寄り添う行為です。ヨーガ・スートラには「もし、あなたが静穏であり、幸福であることを欲するならば、他者のために行為せよ。」とあります。それがカルマ・ヨーガが喜びの連鎖と言われる所以です。

カルマのマトリックスから自由になる方法はわかりました。

でも、疑問が残ります。

サンチタカルマとアーガミカルマの矢を放たないというのは、頑張れば出来そうです。でも、過去に放ってしまったブラーラブダカルマの矢はどうすればいいの❓

はい、これはもう受け入れるしかないんです(´;ω;`)ウッ…

この矢は、現世で発現して使いつくされることによってしか解消できないカルマですから。

でも、ご安心ください!このカルマの受け入れ方もダルマの教えにあります。

古代ヨーガの経典「バガヴァット・ギーター」に「平等の境地」という教えがあります。「平等の境地」とは、石ころもダイアモンドも同じ、とギーターでは説明しますが、それは、善いことも悪いことも同じと考えることで、悪いことは、自分の魂の成長のために起こることだ、と前向きに捉え、もしもブラーラブダの矢が刺さり、苦しみや悲しみを感じても「ああ、これでカルマが解消される!」と喜んで受け入れることで、気持ちが楽になり、次のカルマの連鎖を止めることができます。

表層意識に現れて現象化するカルマは潜在意識にストックされています。行為には必ずその反作用がつきもので、それは消えずに潜在意識の中に残っています。たとえば、悪いことが起こったとして、心の中で(悪いことが起こっていやな気持になった)と思えば、それは知らず知らずのうちにストックされるのです。カルマの蓄えられた容器をヨーガではカルマの子宮を意味する「カルマ・アーシャヤ」と呼び、ここでカルマの種子は反作用をもたらす機会を待っているのです。

私は、ある時期から怪我のカルマに悩まされるようになりました。思いもしないことから、それが大怪我に繋がり、半年から一年以上、その怪我を引きづっていました。そしてひとつの怪我が治ると、ほどなくして、また別の怪我をするのです。怪我をするたびに、私は落ち込み、自分のおかれた状況のせいにしたり、自分を責めたりしていました。そのうちに、怪我をしていない状況でも、世の中や人に対して批判的になったり、誰かと比べて落ちこんで引きこもったり、常に失敗をおそれて自分に自信が持てなくなりました。

ヨーガの教えを学びはじめてからも、怪我のカルマは続きました。ある時、また大怪我をしました。その怪我が治った数日後にまた怪我をしました。私はこれでヨーガのレッスンができなくなった、と思いましたが、それと同時に、これは何かのメッセージではないか、と気づきました。今までやってきたことをストップさせて、本当にやるべきことを探すための出来事なのではないか?と考え、ひたすら瞑想して自分と向き合いました。

そして知りました。すべては自分の心が引き起こしている、ということ。それは自我である自分の心の中で起こっていること。怒りや欲や偏った正義感に執着している自分の穢れた心の反作用だった、ということ。その心の奥深くにある、本当の自分の真の心はただ純粋で美しく、何も期待せず何も求めず、善の悪もなく、ただそこに在るだけだ、ということ。そしてそれはすべてのものと繋がっている!世界はなんて美しくて喜びにあふれているのだろう!私の自我はその素晴らしさに目を向けず、不足している部分だけに執われていた。貴重な人生なのに、なんて勿体ないことをしていたんだろう、と。

そうすると、起こることはすべて感謝でしかないと、今まで頭ではわかっていたけれど実際にはわかっていなかったことが、本当に腑に落ちてわかったのです。そして、もうひとつわかったことがありました。それは、私は今まで怪我ばっかりしてて、悪業が深くてなんて不幸なんだろう、と思っていたのですが、こんなにも今生でカルマが発現してるということは、過去のカルマがどんどん今生で解消されて、私はなんてラッキーなんだ!と思えて、それに気づかせてくれるために、私はヨーガに出会ったのだ、ということです。ダルマの教えに出会えたことの感謝でいっぱいになり、この教えをたくさんの人に伝えたいと強く思いました。私のできる事、ヨーガのレッスンで、キールタンで、ブログやSNSで、私の行為(カルマ)が誰かの役に立てば、本当に嬉しい💗まさに怪我の功名です( ´艸`)

「自分の人生の幸福・不幸は自分自身の創作である。これを忘れずにいれば、人を責めようとはしない。自分自身が最大の敵であると同時に、最良の友である。」

      パタンジャリのヨーガスートラ「インテグラル・ヨーガ」スワミ・サッチダーナンダ著

AUM SHANTI ☆彡

🌻キールタン・ライブのお知らせ🌻

Shanti Shankar / Kirtan Live

7月28日(日)16:00~20:00  みのっ子市 子ども縁日 ☆出店多数

美濃市小倉公園内 ステージにて 

Shanti Shankar ライブ 18:30~19:10

♪夕涼みに来てね(^^♪

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